ギュー…(自分の首をしめる)。
あっ!こんにちは。ジャジャです。
死ぬかと思いました。
どうでもいいですけど「死ぬかと思いました」っていう言葉、
「死のうかと思いました」っていう風にもとれますよね。
もういいや、死ぬか!みたいな。
つかまあそんな風に感じる人はSSレアだと思うんですけども、
意外とヒトって、こっちの意図しない風に言葉を捉えることがあって。
単純に意識、認識の違いである場合も多いんですけど、
個人的にめんどくさいのは、間違った意味で通っちゃってる言葉。
有名なのは「役不足」とか、「見切れる」とか。
間違ってるほうがメジャーだったりして、
そんで意識高いヒトはそれを訂正したがったりして、
そういう相手には間違ってない正式な意味で使ったりして、
その様子を見ていた愚か者が指摘してきたりして…。
めんどくさいっすなー。めんどくさい。
でも、言葉が間違ってるか間違ってないかに関わらず、
きちんと相手の伝えたい意志を捉えないと、いけませんね。
これは社会を生きるために大事なことです。
重要なのは何を伝えたいのか、ということですよ。真意とは何か?っていう。
…でね。
ウチの会社にすぐ「死にたい」って漏らすやつがいまして。
ミスるとすぐ死にたいって言うんですよ。
ミスるのはしょうがないにしても、ミスる上に死にたいと。
しかもミス自体多いんですよ。だから死にたいって言う頻度も高い。
ミス10連ガチャのうち8回が死にたいですよ。感覚としては。何の感覚?
でまあ、それは死ねばいいじゃないですか。
次につなげる気も無く、死にたいっていうんだから、死になさいと。
死ぬのは自分の意志ですので、どうぞデスなさいと。
でもそいつ、死なないんですよ。
全然死なない。死にたいのに、死なないんです。
まるで平成天才バカボンの「忘れようとしても思い出せない」ですよ。
…だからね、最近よく同僚と話をするんです。
彼の「死にたい」には、何か別の意味があるんじゃないかなって。
もしかしたらもっと伝えたい事があるのかも?
それが人類を救う鍵になるのかも?
ダヴィンチコード的な?そういうアレかも?
と、いうことで、
「お前死にたいって言うけどなんでそう言うの?」って、聞いてみました。
そしたら、
「迷惑がかかるから、死んだほうがいいですよね」ですって。
なるほど。
…あの、別に意識のすれ違いとかも、人類を救う鍵でも、なんでもないのね。
では、死んでください。
一生おやすみ。